改めていま、石川竜一とは何者なのか。

〝分からないから〟撮るという行為。

被写体そのものへの無関心さについて別の解釈をするなら、3,000人という圧倒的撮影量が個々への関心を薄めていること、そうして撮られた写真を誰一人として強調させることなく並列に見せていることが注目できるでしょう。これだけの人々を撮ったという結果は、いわば「変わった人たちを撮りたい」という関心からスタートしていないことを意味します。ここにおいて、写真(被写体)のセレクトはもはやナンセンス。一人ひとりへの眼差しよりも、沖縄に生きる3,000人への眼差しが浮き彫りとなり、その総体がゆくゆくは石川竜一そのものを導くのではないか。

実際、トークでの質問で石川さんが答えてくれた一言が印象に残っています。

トモ・コスガが「なぜそれほどまでに人を撮るのか?」と訊くと、石川さんは一言、「分からないから。」と答えてくれたんです。なにが分からないのかという対象には、人々も含まれるでしょうし、恐らく彼自身も含まれるでしょう。あるいは写真行為とはなにか?という疑問とも受け捉えられます。トモ・コスガには、彼の端的な回答を自然に飲み込むことができました。

写真に消費されないということ。

ここでもう一人、引き合いに出したいのがインベカヲリ★さんです。

彼女は、日本における女性のあり方や理解のされ方に〝違和感〟を感じたことから、女性たちのポートレートを撮影し始めました。その手段も興味深いもので、被写体となる女性たちにまずインタビューをし、そこから感じとれたキーワードやエッセンスを写真撮影に反映するというもの。例えば「白いものしか食べられない女性」であれば、そうした食べ物を実際に並べて撮影するなど。

変わってますよね。でもそんなインベさんの下には、モデルを志望する女性たちからの連絡が絶えないといいます。

一見、奇をてらった写真のようにも感じられがちですが、先述したインベさんの初期衝動、それからインベさんに撮られたいという女性が増える一方という現象ひとつをとってみても、インベさんにとっての写真行為は誰かに見せるためや自分を知ってもらいたいというより、この社会に生きていて自分のなかに生じた違和感を写真行為から理解したい、つまり現代に違和感を感じる自分が何者なのかを知りたいように感じられるのです。

インベさんの写真においては、実に個性的な女性たちが登場しますが、インベさんの眼が彼女らを傷つけることはありません。そしてなによりも、被写体となった女性たちは本能的に理解しているのでしょう。インベさんは自身のために撮っている、だから自分は自分のために写ろうと。ここにおいてインベさんと被写体は共犯関係を築いたことになるのです。このことは昨年、神保町画廊で開催されたインベさんの個展の題名『誰かのためでなく』からも分かることだと思います。

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