「これ、良かったらもらってください」
そう言われても、なるべくもらわない。
誰から? 作家から。
なにを? 写真集やジンを。
正確に言うなら、「ただで」もらわない。
それがおもしろいものなら、対価を払うべきだし、
つまらなそうなものなら、なるべくもらわない。
これが企業や団体からの寄贈なら、喜んでもらうだろう。
しかし相手が個人なら、その労力を見込んで対価を払うべきだ。
お金は価値基準の最たるものなのだから。
「これ、もらってください」—
とりわけ雑誌の編集者時代はよく言われたものだ。
給料が安く拘束時間の長い編集者にとっては、特権のひとつかもしれない。
でも、知っている。
いくら口で「いいですね」を連発しても、
行動を伴ってくれない人がほとんどだということを。
「もらう」と「買う」は、雲泥の差だ。
買うことは時に、言葉以上に意味がある。
近ごろは、良いと思った作品は買うことに決めた。
作品ともなると、数万円〜数千万円のものがある。
いまのぼくが買えるのは大した額ではない。
それでも、ひとつひとつの仕事でコツコツと稼いだお金で買う。
心にもない言葉で「いいですね」では買えない。
ただ眺めるときとはまるで違う角度から、見るようになる。
自分の人生において、後押しをしてくれるような一枚を。
ぼくの30代をともに切り開き、実りあるものにしてくれる一枚を。
毎回、冷や汗をかきながら、数時間はギャラリーをさまよい、
ようやく覚悟を決め、「これお願いします」
この瞬間、ぼくはたくさん働いて集めたお金を失う代わりに、
その写真家がたくさん歩いて撮ってきた写真を手に入れるのだ。
そう、とても苦労して生み出したものを手に入れることができる。
想像してみて欲しい。
ある作品が20万円で売れたとしよう。
作家にとっては、たかが20万円。
初任給の手取り程度のもの。
しかも、彼らは売上の半分を所属ギャラリーに渡す。
しかも、その1枚を生み出すまでに、どれだけのフィルムを使い、
どれだけのプリントを重ねたことだろう。
重要なのは、それに費やした時間だ。
人生のうち、どれだけの時間をかけてこの一枚を生み出したのだろう。
1人の人間に与えられた時間は増えることなく、減っていく一方だ。
それが、命を削りながら生み出されたものだと捉えたら。
あとは、とことん惚れ込んだ1枚を選ぶだけ。
いまぼくが目指しているのは「三種の神器」をそろえること。
田附勝さんの『カケラ』、
山谷佑介の『ground』、
それからエレナ・トゥタッチコワの『はじまりのしじま』。
このうち、
山谷君とエレナのものは手に入れた。
あとは田附さんだけだ。
なぜこの3つなのだろう。
ワケがある。
田附さんの『カケラ』は、目の前の狭い世界に囚われず、大きく世界を見ろと背中を叩いてくれる。
山谷君の『ground』は、20代の怖い物知らずで毎晩友だちを作れた夜の日々を思い出させてくれる。
エレナの『はじまりのしじま』は、小さい頃、見えない友達と歩んだ冒険の旅にまたいざなってくれる。
会社員をやめ、自分ひとりで生きることを選んでいる今、
しんどいときはどうしようもなく孤独で、情けなく、自信を失いそうになる。
そんなときも、この3つと共にいられたら。
なんだか心躍るじゃないか。
やれる。きっとやれる。
あのときのオレはやれたぜ。
ああ、そうだ。
まだまだ、やれる。
ふたたび、自分を信じられる気がする。
写真プリントをただの紙だと思えば、実に高価なポスターだろう。
だけど写真家その人に会い、話を聞き、その魅力にふれてから、
彼らが生み出すものに手に入れると、ぜんぜん紙なんかじゃない。
きっとそれは、本だって、写真集だって、おなじこと。
だから、ただではもらわない。
ただでは、済まさない。
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