小学時代に神宮前の名物ホームレスから殴られた過去を持つ薄井一議は昭和時代の「視覚を奮い立たせる色」から我武者羅に生き抜く力を見出す。

薄井一議『Showa88/昭和88年』2011年、ZEN FOTO GALLERY刊

 

僕が初めて薄井さんの写真を知ったのは作品『Showa88/昭和88年』でした。何人ものヤクザが日本刀を片手に闊歩していたり、ゲイシャが股を開いていたり。ありそうなシチュエーションだけれど、現実世界で見ることはない場面ばかりで。その後、薄井さんが自分の世界観を作り込む作家さんだと知り、なお興味を抱くようになりました。どういうきっかけから、こうした作品作りをするようになられたんですか?

もともと映画が大好きなんですよ。映画的アプローチで写真もやりたいと思っていた。だから作り込んだ作品が多いんだと思います。初めて作ったのが1999年発表の『マカロニキリシタン』(英題:MACARONI CHRISTIAN)。「もし偽物のキリストが東京にいたらどういう行動をするか」をテーマに、ドキュメンタリーとフェイクを織り交ぜた作品を制作しました。これはモノクロで撮ったんだけど、やってみて思ったのが、自分はモノクロよりもカラーだなと。

で、次に作ったのが「ボレットボーイ」(英題:BULLET BOY)。これは〝鉄砲玉の男〟の物語。一人、鉄砲玉の男が刺されて死ぬ間際、どういう走馬燈を見るかっていう。死ぬ瞬間に空を見上げ、初めてその美しさを知る。どんな人でも、どんなに悪い人でも、必ず母親から生まれてくるもの。男が死ぬ瞬間には母親のことを思い出すってことにしたいなと思ったんですけど……

うんうん。

完璧すぎちゃったんですよね、画的に(笑)。当時、自分がやっていたことはどうやら写真の適材適所じゃないなってことに気づき始めた。見ている人に、間というか、そういうのを感じさせるのが写真だろうなと思って。それで一度、解体したんです。

へー。それは自分でやってみて分かったことだから、無駄なことはなにもないですね。

そのころ、仕事で大阪の飛田新地を初めて訪れたんですよ。その時は、料亭の「百番」のなかを色々と撮らせてもらったんですけど、そこから飛田新地内、そして西成と歩いてみて、ショックを受けたんですよね。というのも「色」で溢れていた。エロい意味じゃなく、なんというか、視覚から奮い立たせる力というか。

 

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薄井一議『Showa92』より © Kazuyoshi Usui

 

確かにあそこ、ネオンが煌びやかに輝いてる印象ありますよね。

それもそうだし、内装ひとつとっても「色」で溢れている。街の作りもやたらピンクが使われてたりとか。プラスチックの花だとか。街が色で溢れていたのがとにかく印象的だった。それから東京に帰ってくるじゃないですか。オシャレとされている場所は大体グレーなんですよね。例えば、コンクリートの打ちっ放しだとか。自分が生活してきた街からは「色」がなくなりつつあるってことに気づいた。

西成地区には、生活が大変な人もいると思うけれど、視覚から奮い立たせて生きていこうという刺激があるなと思ったんですよ。それはインドに行ったときも感じたことで。こういう言い方は良くないのかもしれないけれど、生活するのに困難な場所、あるいは困難な人たちが集まる場所には、色がある。だからか、生きるのにひとつ、あっけらかんと冗談になれるというか。例えば路上でモノを売るにしても、片っぽの靴を売ってたりするじゃないですか。そういう姿に力強さを感じた。

 

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薄井一議『Showa88/昭和88年』より © Kazuyoshi Usui

 

僕たちの世代は、そういう生き抜く力を忘れちゃっている気がしていて。時代の先輩方がこの国を立ち直してくれたおかげもあって、僕たちのような第2世代、第3世代が生活して食べていくのはなんの不自由もない時代が訪れた。でもその代償として、なにか置いてきてしまったものがあるような気がするんです。生きているけれど、空虚さを感じるというか。〝生きていくというより、生きている〟みたいな。

そして大阪の地で感じ取った「視覚から奮い立たせる色の力」をさらに辿っていった結果、昭和という時代感に行き着いたと。

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