沖縄の地に私的な因縁を導き出した野村恵子は言葉を寄せつけない写真の神秘に身を寄せながら先祖の潜像を見つめる。

Portraits by Shingo Wakagi
Interviewed by Tomo Kosuga

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野村恵子さんの写真は一見、空と海と女性たちが紡ぐドラマチックなドキュメンタリーに見受けられる。しかし彼女がこれまで紡いできたひとつひとつの写真集を点とし、それらを線に繋いだとき浮かび上がるのは、繊細な感性から私的な因縁を導き出そうという試みだ。祖父母が生まれ育ったという日本最南端に位置する沖縄の地を基点にし、空と海、女性たちを触媒にすることから、彼女は目に見えない先祖の潜像を見つめる。それはまるで、太陽そのものを神と捉えるのでなく〝太陽が昇るとき、その瞬間に神を感じる〟ことのようである。

野村さんとの対話のなかで、言葉を寄せつけない写真の神秘がひょっこりと顔を出す瞬間に狙いを定めた。

 

TSK:今日は代表作をひとつずつ辿りながらお話を聞かせて下さい。まず初めに、本としての第一作が1999年刊の『DEEP SOUTH』。これは沖縄の地を写したものでした。

野村恵子:私は当時、ベトナムやアジア諸国に興味があって行き来していたのですが、絵になるから撮るだけでは〝写らない〟ことに気づいたんですね。それで、自分にとって因縁のある場所を訪れようと。それなら沖縄じゃないかと思ったんです。

当時なにをきっかけにして、絵になるから撮るだけでは〝写らない〟ことに気づけたのでしょう?

私は元々、神戸の出身。1997年に「コニカプラザ新しい写真家登場」年間グランプリ受賞をきっかけに翌年に上京してきました。当時の東京では、佐内正史さんや長島有里枝さん、大森克己さんといった若手の写真家たちが一斉に台頭し、日本の写真がある意味で盛り上がっていた時代。彼らはそれまでの日本写真に多く見られた〝モノクロームのスナップショット〟からいち早く抜け出て、独自の新しい写真表現を追い求めていた。その時代の刺激も大きかったと思います。

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なぜ沖縄の地に因縁があると思ったのでしょう?

母方の祖父母が生まれ育ったのが沖縄だったんです。だから行こうと。沖縄本島の中部にかつてあったコザ市の辺りに部屋を借りて。当時はバイトでお金が貯まればコザへ行って暮らす、という生活を2年ほど続けました。そのときの写真を、出版社のリトルモアから出版してもらったのが『DEEP SOUTH』でした。

※ コザ市……かつて沖縄本島中部の中心都市として発展した市で、1974年に美里市村と合併し、現在では沖縄市の一部となっている。

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