沖縄の地に私的な因縁を導き出した野村恵子は言葉を寄せつけない写真の神秘に身を寄せながら先祖の潜像を見つめる。

生きている不思議、死ぬ不思議、出会いの不思議。どれもただ偶然だと思うんです。両親から私が生まれたこととか、モデルの女の子たちと友だちになって撮っていること。日本に生まれたこと。それらがまるで必然のように、運命のようにすら感じられる。それを強調させてくれるのが写真だと思います。

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それまでの『DEEP SOUTH』『Bloody Moon』『Red Water』では〝赤〟が印象的だったのに対し、『Soul Blue』では更に〝青〟が混ざっていく。

それは水という存在に意識が行くようになったからだと思います。水は目に見えないけれど、永遠に空と地を循環し続ける存在。それって或る意味では救いだと思うんですよね。では、人はどうだろう? 死んで全てがなくなる訳じゃないし、生きていることが全てでもない……という問いに答えなんてないと思いますが、そういうなにかを写すことに関心を持ち出したのだと思います。keiko_nomura_soul_blue_002

恵子さんの写真の特徴として、言葉を寄せつけない写真の神秘が挙げられます。心理学者の河合隼雄さんが著書『神話と日本人の心』のなかでこんなエピソードを紹介していました。かつて心理学者のユングが東アフリカのエルゴン山中に住む住民に「太陽は神であるか」と問うたところ、「太陽が昇るとき、それが神様だ」と述べたと。これは写真というメディウムを通して我々が感じとれる感覚にも近い気がしますし、言語が持ち得ない写真の特性を言い表わしている様に感じます。恵子さんの写真全般を見ても、これが言えるのではないかと。

西洋文化を例に挙げると、色んなことが白黒ハッキリしてますよね。例えばあの世とこの世、生と死と、自然と人間とかってハッキリしてるけど、日本は曖昧。神様というと、日本の原始的な宗教感でいうと石も神なら、泉も神。海も神。ご先祖も神。あるいは木、山、雨、獣だって神。

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