アフリカのハンティング産業に見る「ポートレート写真」という通過儀礼

© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

「人間はかくも野蛮だ」——。アフリカの大草原を舞台に、白人観光客が娯楽で野生動物を狩る様子を淡々と描くドキュメンタリー『サファリ』が東京国際映画祭で上映された。

狩りなんて、それほど驚くことじゃないでしょ?と思うかもしれないが、いやいや。舞台はアフリカというだけあって、劇中で狩られる動物とはキリンやシマウマ、あるいはヌーといった動物園レベルの動物ばかりなのだ。

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© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

とりわけ我々にとっては生涯かけても動物園以外で出会うことのなさそうな動物たちが、平凡な中流階級の白人家族によって、〝ハンティング〟の名の下に次々と撃ち殺される。宿からすぐ近くの小屋では、現地のアフリカ人が数人がかりで、狩られた動物の皮を剥ぎ、そして解体する。その現場に〝ハンター〟が立ち会うことは稀だ。

この一部始終を映像で目撃することによって、なんともいえない憤りがわき上がる。キリンやシマウマだからといって、シカやウサギ、はたまたブタやウシとどう違うのか。しかも彼らは法に従ってハンティングをしているのだから、なんら問題はないのだ。でも——。

© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

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ここで本作が絶妙なのは、動物殺しの残虐さを感情に訴えることよりむしろ、淡々とハンティング産業を支える屈折した社会構造の暴露に重きが置かれているところだ。その手法として本作で用いられるのが、劇中の登場人物らをカメラの前でじっと立たせるというもの。つまりそれは「ポートレート写真の効果」だ。

本作はドキュメンタリーであるにも拘わらず、時折まるでポートレート写真でも見せるかのように、登場人物らを静止させる。おびただしい数の剥製が飾られた豪華な部屋でカメラを見つめる若いオーストリア人のカップル、水着姿で優雅に日光浴をする白人のおばあさん。かたや、解体小屋の前に立つ汗だくの黒人男性や剥製工場内に飾られた剥製たちの前で静止するアフリカ人女性。本編のメインはあくまでハンティングの一部始終を客観的に写すことだが、ひとたびポートレートという切り口を踏まえると、これほどまでにハッキリとした対比が浮き彫りになる。

© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

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© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

そもそもポートレート史の——あるいは〝肖像画〟の歴史といった方がここでは分かりやすいかもしれないが——あり方を振り返ってみても、自らの地位や権威をより強大に誇示する役割(ウソと虚栄)として白人社会においては繰り返し活用されてきたし、その一方で過酷な現実をより多くの人々に知らしめる役割(ホントと暴露)として主にジャーナリズムの分野において活用されてきた側面がある。

つまり劇中で〝ハンター〟たちがどれだけ自己正当化した話をしようが、このポートレートの構図があることによって、あくまで〝スポーツ〟として狩りを楽しむ白人と、土地を乗っ取られた挙げ句に白人の悪趣味に付き合いながら余興の後始末をさせられる現地黒人たちというヒエラルキーの構造を、観る者の目に焼きつけてしまう。

極めつけは、ハンターらが狩りに成功したときに撮る記念写真のシーン。ほんの数分前に撃ち殺したばかりの獲物の隣りで、捕ったぞ!と言わんばかりにポーズする。時にはそれっぽく見せるために死骸に土をかけたり、口に草を咥えさせたりも(なんでもこれは〝最後の食事を〟という意味らしい)。銃を放った後は動物殺しの重圧がのしかかるからか、どのハンターも衰弱した様子で、かっこつけようにも膝がガクガクしているのが見てとれる。

ウソばかりの記念写真を撮るために虚勢を張る姿は、滑稽そのものだ。急所から外れてしまった下手なショットの場合や、キリンのように大きな動物の場合は獲物が息絶えるのに何十分とかかることも。そんな残虐な行為も、記念写真さえ上手く撮れれば、彼らのなかでは一件落着。たったいま自らの手でひとつの命を奪ったわけではなく、それはハンティングというれっきとした伝統的な行為なのだと神聖化するためにも、写真撮影は欠かせないのだ。事実、狙った獲物を仕留めたあと、息絶えた動物のすぐ近くで、彼らは熱いハグを交わす。

© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

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音楽も効果音も使わず、一定の距離を保ちながら進むこのドキュメンタリーは、一見なんの先入観も介入させることなく公平にアフリカのハンティング産業を描いているようだ。だが実のところ、写真が持つ〝ウソ〟と〝ホント〟の相反する性質をうまく利用することによって、まさか21世紀の出来事とは思えないような原始的な社会構造が〝観光産業〟の名の下でいまも存在することを問題提起している。

© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

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〝ハンター〟たちが自らの狩りに対する哲学や熱意を語るシーンが数多く挟み込まれる一方で、黒人労働者の場面では一切セリフがない。なのに、この映画で一番印象に残るシーンは、動物の解体作業を終えた労働者がカメラを見つめながら、死骸の骨肉を貪るように食いちぎる場面なのである。

ポートレート写真のように切り取られたこの場面もまた、セリフ以上に強烈な印象を残す。これは実際に彼らの日常の一場面なのか、それとも実は作為性があるのか……真相は分からないが、少なくともあのゴリゴリと骨肉を囓る不気味な音は、一度でも聞けば決して忘れられなくなるだろう。

© Wien 2016 Ulrich Seidl Film Produktion ARTE G.E.I.E. Danish Documentary WDR

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この記事の著者

Lena

Lena

翻訳/通訳。大学でメディア・コミュニケーションを専攻したことをきっかけに映画鑑賞に熱中する。元VICE MEDIA JAPAN スーパーバイジング・トランスレーター。

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