すべてボツだ。

「やあ、クズども。

いまから言うことをよく理解しろよ。

現時点でフォトイシューの校了2週間前だが、

今日までオマエらが苦労して取材してきた記事は……

 

すべてボツだ。

 

いいか、分かったな?

その代わりに……

『スティルライフ』を集めてこい」

 

当時のVICE US編集長、
ジェシー・ピアソンからのメールだった。

2010年、6月。
ぼくはVICEのニューヨーク本部にいた。

 

日本からはこの号のために、篠山紀信の記事を準備していた。
撮影は田附さんにお願いし、いい出来に仕上がっていた。

記事も脱稿し、校了まであと1歩のところ。

その矢先、上のメールを受け取ったのだ。

 

頭の中がまっしろになり、青ざめる。
この時ばかりはジェシーという男が信じられなくなった。

 

 

まず初めに、当時の状況を説明しよう。

ぼくはこのとき、数週間前まで働いていた麻布十番のVICE JAPANを退社し、
VICE本社のあるニューヨークはブルックリンのベドフォードで暮らしていた。

 

理由はシンプル、「VICE JAPANがなくなるから」。

アメリカではいまや動画配信を基軸にした一大メディアとなりつつあるVICEだが、
2010年ころまでは、フリーマガジンを基軸にした小さな媒体だった。

 

本国ルールによって、マガジン販売による収益確保はNG、
そのくせ当時、本国へのロイヤリティはかかるといった悪循環。

日本支部もなんとか6年続いたが、売上が見込めず、
とうとう継続が難しくなってしまった。

 

当時の社長が撤退を悩み出した時点で、
ぼくはニューヨーク行きを決意。

社長に直談判をした。

雑誌作りはニューヨークからでもできます。
退社して会社の負担を減らす分、業務契約で雇って欲しい。
雑誌を出せるところまで担当します。

自分はニューヨーク本部を見てきたいんです、と。
いま考えれば厚かましいお願いだったが、社長は承諾してくれた。

 

猶予は3ヵ月間。
以降は仕事の当てもない。

どころか、貯金もなかった。

手元の金目のものを片っ端からヤフオクで売り飛ばし、
なんとか3ヵ月間の滞在が可能な飛行機代を捻出した。

 

唯一の救いは、ホテル代がかからないことだった。

渡米の少し前、VICE映像取材のため来日していた
サンティアゴ・ステリーから、タダで部屋を貸してもらうからだ。

そのために彼から提示された条件「日本での取材を手伝うこと」に、
これまたさんざん苦しめることになったのだが……

その話はまたいずれ。

 

 

着いてすぐニューヨークオフィスで手伝うことになったのは、
毎年恒例のフォトイシュー。

「写真特集号」だった。

 

VICEマガジンは毎年、7月号がフォトイシューになる。

通常のA4変型からB4変型にサイズアップ。
一時期は200ページ越えの巨大雑誌がフリーで配られていた。

 

毎年のように、
まずジェシーとその相棒、エイミーにアイデアを送り、
採用されたアイデアを記事に仕上げていく。

冒頭で書いた通り、
日本からはこの年、篠山紀信を予定していた。

にも拘わらず、突然の全キャンセル。

 

すぐさまジェシーに駈け寄った。

「どうして今さら、こんな変更を?」

 

「昨晩ベッドで本を読んでいたとき、ふと閃いたのさ。

ここはスティルライフだな。

とね」

 

おい意味がわかんねえぞ、ゲジマユ。

憤慨しつつも、その話を聞いた数分後にはもう、

「案外それもおもしろいかも」と突き動かされている自分がいた。

 

参考: 静物画(スティルライフ)- Wikipedia

 

考えているヒマはない。
タイムリミットは2週間。

記事をボツにした篠山さんにもダメ元でお願いした。
前年のフォトイシューで話を聞いた荒木さんも。

なんと2人とも、期限までに寄稿してくれた。

 

そのほか、世界中からも錚々たる作家が。

ディビッド・リンチ、
スパイク・ジョーンズ、
アリ・マルコポロス、
ロバート・メープルソープ。

ライアン・マッギンリー、
テリー・リチャードソン、
エド・テンプルトン、
スティーブン・ショア。

キャサリン・オピー、
ユルゲン・テラー、
エドワード・ウェストン、
ピーター・サザーランド。

 

こんなワケもわからないフリーマガジンに。
しかも2週間で。このときのジェシーは神がかっていた。

 

IMG_0403

VICE MAGAZINE v17n7 “STILL LIFES”より。JAMIE LEE CURTIS TAETEのスティルライフ

IMG_0404

MARTIN PARR

IMG_0405

篠山紀信

IMG_0406

JACK PIERSON

IMG_0409

新田桂一

IMG_0411

荒木経惟

IMG_0413

EDWARD WESTON

ED TEMP

ED TEMPLETON

 

実はぼく自身も、ふざけ半分で寄稿を考えていた。

当時、ゴールドが好きだった。
ゴールドのアクセサリー、腕時計、カメラ。
なんでもゴールドで揃えていた時期があった。

 

その写真がパソコンに入っていたのでジェシーに送ると、
なんでもずいぶん爆笑したらしく、ふざけたつもりが採用されてしまった。

世界30ヵ国のスタッフ内で採用されたのは、ぼく1人。
まあおそらく、アホなアジア人の枠で採用されたんだろうけど。

 

IMG_0399

 

校了の数日前、ガラス張りのミーティングルームのなかで、
ジェシーはレイアウトを考えていた。

 

「トモ、どう思う?今回のフォトイシューは」

「ああ、最高だよ。おもしろい号ができたと思う」

「そうか、オレも満足だよ」

「ジェシー、ぼくはVICEに関われて本当に良かったよ」

「マジかよ? オレなんか、毎日不満ばかりで怒ってるぞ」

 

しばしの談笑後、

ぼくはずっと堪えていた一言を告げた。

 

「ジェシー、ぼくをVICE USで雇ってくれないか?

日本支部がなくなるんだ。ぼくはまだ働きたい」

 

この一言をいわんがために、
ニューヨークまで来たのだから。

 

何秒かの沈黙のあと、ジェシーが口を開く。

 

「トモ。オマエはVICEのためによくやってくれた。

できることならなんとかしてやりたいが、

実はオレ自身、来年の仕事について、経営陣となんにも話ができていない。

つまり、オレが続けられるかどうかすら分からない状態なんだ」

 

ジェシーの手は震えていた。

いつも怒っていて、ユーモラスで、強いジェシーなのに、
このときばかりはとても小さく見えた。

 

7月、ニューヨークの街に配られたフォトイシューは瞬殺だった。
ぼく自身、最初の数冊しかもらえず、オフィスからも在庫はきれいに消えた。

ジェシーがあのとき、もう間に合わないからと、
いつもと変わらない号を出していたら……

きっとこんな風にはならなかっただろう。

 

ジェシーはあのとき、自分勝手な行動をとったんじゃない。

みんなを信じていたから、テーマを変えることができた。

 

彼は、人生の十数年を賭して生み出してきた雑誌に、きっと

みんなも面白がってついてきてくれると信じていたから決断できた。

ぼくはそう思う。

 

結局、ボツにされた記事はどうなったかって?
安心して欲しい。最終的にはウェブ掲載に回された。

 

FullSizeRender_1

 

8月中旬、部屋を貸してくれていたサンティが早めに帰国。
とき同じくして、VICE日本支部は日本版の発刊停止を決定。

ニューヨークにいながら職を失ったぼくは、帰国を迫られた。

 

ジェシーはその数ヵ月後、VICEを去った。
スティルライフス号が、彼にとっては最後のフォトイシューとなった。

現在は新たな雑誌『Apology』を刊行している。

 

 

2010年のフォトイシューはまだネットでも見られるが、
大きくなりすぎた現在のVICEらしく、見るも無惨なページしか残っていない。

VICE MAGAZINE “The Photo Issue 2010: Still Lifes”
http://www.vice.com/read/index-v17n7/page/0

この記事の著者

トモ・コスガ

トモ・コスガ

1983年生まれ、編集者。フォトグラファー・新田桂一に師事後、VICE MAGAZINE JAPAN編集部、EYESCREAM編集部、VICE MEDIA JAPANを経て独立。現在は故・深瀬昌久の作品管理と普及を目的とする「深瀬昌久アーカイブス」ディレクターを務めながら、主に写真関連の記事を書いたり、家事をしたり、ジムでマッチョを夢見たり、クワガタを飼育・採集、と多岐にわたって活動中。

http://www.tomokosuga.com/

この著者の最新の記事

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

ページ上部へ戻る