見えないものを撮る。

写真に写るものって、なんだろう。

 

たとえば砂浜から海を撮れば、あたりまえだけど海が写る。

もっと知りたいと思い、望遠レンズを使うか、
あるいは海に近づいてみる。

今度は波や、しぶきが見えるようになった。

 

じゃ、勇気をふるって潜ってみよう。

ザッバーン!

それまでヨコ一直線だった海が、今度は縦に広がった。

 

その縦には、魚がいて、クラゲがいることに気づく。

もっともっと先へ。

 

次第に、地面がなくなる。

もっともっと、奥底へ。

 

青かった海が黒くなり、音が消え、なにも見えない。

ここはどこだろう。天と地はどこにいった。

 

なにもカタチが見えなくなった海に、カメラを向けてみる。

そのとき写るのは、どんな海だろう。

 

 

2月5日、金曜日。
荻窪・6次元ってカフェでトークがあった。

写真家の田附さんが話すという。

六次元のトーク明日です。人が集まってないそうです。笑話す内容は、ラジオやイベントと同じような話になっているので「魚人」を軸にこれから、今行っている事なども話します。このイベント終わったら、最後は2/13から始まる秋田での展示の最終日にある…

Posted by 田附 勝 on 2016年2月4日

 

トークは数年封印したいと宣言した田附さん。

開口一番、「今日はぶちまけるから」と言い放った。

 

このとき、
田附さんが話したこと。

その断片を紹介しながら、
目に見えないものを撮ることについて。

考えてみよう。

 

 

2008年、ぼくは一人の写真家に出会った。

以来、彼が旅から帰ってくるたび、土産話に耳を傾けてきた。

その写真家は田附勝、たつきまさるさんという。

 

デコトラから始まり、次第に東北地方へとのめり込み、
岩手県は釜石の鹿猟、暗がりの鹿、秋田県の限界集落、
そして青森県は八戸の漁業を写し。

現在は縄文土器のカケラを写している。

 

おれがいまやってるプロジェクトは、縄文土器を撮るっていう。かつて日本列島に住んでいたであろう人たちがなにかメッセージとして残したいと思ったモノの形が、この紋様で、(縄文土器の)カケラなわけで。

もしかしたら木に彫ってなにかを書いていたかもしれない。でもそれは残らない。残ったもののなかから紐解く。写っているものに対して発表するなら、縄文時代だなと思っている。

田附勝「魚人 FISHMAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

田附さんがデコトラを写真集として出したとき、
ぼくは出会った。それが先に書いたとおり、2008年のこと。

 

デコトラって、わかりやすいじゃん?

ギラギラしてて危なっかしくて。
なんだか昭和の香りもするし、ガンダムっぽい。

ファッショナブルな見た目もあって、
当時勤めていた「VICE」ファッション号のために取材したんだっけ。

 

でもさ。

話を聞いてみたら、ちがうんだなって。

この人、デコトラと出会ってきたんじゃないんだ。
そこに乗ってるおっちゃんたちと出会い、彼らを見つめていた。

 

だから田附さんは、夜のギラギラ疾走するデコトラだけじゃなく、
それこそ昼に仕事で物を運搬するときの、情けないデコトラも写していた。

 

それから、デコトラだけじゃなく。

デコトラのなかの運ちゃんたち、デコトラと家族とか、
トラッカーとデコトラをつなぐものを写真に収めていた。

 

家族写真、記念写真。
そういう枠組みの写真。

でも、デコトラなんだよなあ?

デコトラも含めた家族写真。

ヘンテコにも感じるけれど、
家族って、ペットもそうだけど、人間だけとは限らないから。

 

俺がやってるプロジェクトはなにものかに誘導されているようにしか思えない。京都や関西にも行くことはあるけど、気になることはなくてさ。その理由はそれ(なにものかに誘導されているから)なんだよ。ひとつ終われば、また派生していくこととか。だから意識的にこの写真を撮ってかなきゃとは思わない。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

おもしろいなと思った。

それまで自分が勝手に抱いていた写真像と、
写真家の感じているものが全然ちがうじゃん!ってさ。

 

ただなにかを撮ることだけが写真じゃなく、
その写真ができあがるまでの過程も写真なんだと知った。

 

それから、知らない世界に身体ひとつで飛び込む。

だから田附さんは、誰だって一応は知っているけれど、
実は誰も知らなかったデコトラの〝いま〟の姿を撮れた。

それって、デコトラだけを撮っていたら感じられないもんな。
あと、ただ感じるだけじゃなく、〝視た〟から撮れた。

 

そこへ行って、溶け込んで。
そうして、初めて視るもの。

つまるところ、ドキュメンタリーなんだけどさ。
ただ目の前にあるものを写すだけじゃないような気がして。

ああ、これが写真なのかも、って思ったのを覚えている。

 

ぼくにとって、
人生で初めて取材した写真家が田附さんだった。

デコトラで分かったつもりになったけれど、
そこから先の田附さんはどんどん分からない存在になっていく。

 

デコトラを撮りに回っていたとき、ぞわぞわする感覚があって、それがなんなのかって思ってた。それはもしかしたら、かつての日本列島の姿なのかもしれない。蝦夷から繋がる日本の姿があるんじゃないかって。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

2011年7月、写真集『東北』を刊行。

ぼくが会う前の2006年から田附さんが始めた東北歩きは、
青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島と続き、
東北大震災の直前まで継続された。

 

最後の最後、岩手件釜石市の突きんぼ漁師。
この人をどうしても撮りたくて、田附さんは撮影を延ばした。

漁師の男は獲物の角を抱え、
カメラではない、どこか1点を見つめている。

これが撮れたのが、2011年2月。
その1ヵ月後、地震は起きた。

 

太古から繋がる日本の姿はもしかしたら残像として残っていて、東北の人の見えない力になっているのかもしれない。それはときに信仰であったり、行事に含まれる。それを探そうという旅を、2006年から2011年2月までしていた。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

ぼくはそのころ、EYESCREAMという雑誌の編集部に在籍していた。

田附さんが本を出したと聞いて、3年ぶりに会いに行った。

 

当時、そのほか多くの取材で必ずといっていいほど話題になった震災。
その戸惑いを、田附さんも感じているようだった。

 

そりゃ、当然だ。

東北を撮り続けてきたわけなのだから。
自分が訪れていた土地が、突如として流されてしまった。

 

田附さんは、震災直後の東北を撮ろうとはしなかった。

というか、どう撮ればいいのか1回分からなくなった。
といったようなことを言っていたのを覚えている。

 

(震災前までは)目に見えるものにぶつかっていくことを優先していた。でも津波で全部が流され、それまで俺が見ていた風景が流された。1ヵ月、2ヵ月前に見ていた時間がなくなった。それで、我々の時間ってなんなんだろう?って思ったわけ。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

さらに田附さんを戸惑わせたのは、写真集『東北』によって、
第37回木村伊兵衛写真賞を受賞したことだ。

 

そのとき、田附さんはしきりに、
「俺は先生じゃないから。写真家なんて別に偉くない」

と、誰も聞いていないのに、なかば呪文のように、
自分を言い聞かせるようによく言っていたのを覚えている。

 

日本って言いたくない。日本列島と言いたい。日本という国のカタチになったとき、みんなが分断していった。色んな部族がいるなかで文化が発達して、縄文土器の紋様も一斉に広がったりしたのに。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

結果的に、この受賞は田附さんに転機を与えた。

写真に詳しくなくとも、日本人なら木村伊兵衛を知っている。

これによって、のちに撮影における学術的な窓口が広がったようだ。

 

それでも当時は、なんだか震災をきっかけに本が出せて、
しかも有名な賞までくっついてきたことに対して。

ストイックな田附さんは、自分の力で獲った気がしないような、
あるいは不完全燃焼のような反応を見せたようにも感じられた。

 

実際のところは知るよしもないけれど。
田附さんはいつものように、まっすぐ悩んで見えた。

 

釜石にある兄弟がいるんだけど。田附さん!これ食え!って。柿なわけ。でもすげえ熟しているやつなわけ。

そこで説明があったらいいと思うの。昼食べたんだけど甘くてうまいんだよって言われれば食べられるけど、これ食え!だからさ。そこでたじろぐ。なになになに!ってなっちゃう。せこいな~、俺って思うわけ。

写真のなかではそう思ってるのに、体のなかではそこまでいってない。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

でもさ、いま振り返ると、
当時の流れは、見えない力が田附さんの背を押していたんじゃないかって。

なんたって、東北をただ撮るだけでなく、その地にまみれ、
人々に触れ、現地に溶け込んでから写真を撮ってきた男だからさ。

 

なにか、田附さんにしかできないこと、使命を感じるじゃん?
田附さんにしか撮れなくて、かつ伝えられないこと、あるじゃん?

デコトラと人を家族のように撮れる人って、なかなかいないじゃん?

 

震災を契機に、田附さんは自分の意志とは裏腹に、
まるで、なにか見えないものに背を押されるような勢いで。

東北にどんどんのめり込んでいく。

 

東北も含めて、自分のルーツがどうこうというよりも、同じ土地、日本列島の土地に生まれて、東京や都市に住んでいたら見えなくなっていることを写真にすることであぶり出るものがあって、それを見る者が化学反応を起こせばいいじゃん?

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

2011年11月、震災後初めて行なわれた、
岩手県釜石市唐丹での鹿猟に同行した田附さん。

 

放射能という、見えないけれど見たくもない脅威に震えた当時、
田附さんは鹿の肉からしたたる血の色がまだ赤いのか、確かめる。

これは2012年、『その血はまだ赤いのか』にまとめられた。

 

そして2013年、『kuragari』を刊行。

東北の森で夜な夜な現われる野鹿にライトを当てて写した。
人工光を当てれば逃げるものと思い込んでいた動物。

 

あるとき、クルマで夜の森に入り込んでいった田附さん。
ある地点でライトをつけると、すぐ手前に鹿がいた。

暗闇から光を当てられたら、さも逃げそうなものを。
その鹿はじっと立ち止まり、田附さんを見つめていた。

 

その体験をもとに『kuragari』を作った。

 

いまは狩猟だけじゃなくて、農耕文化にも興味を持ってて。写真を通して、狩猟のことが分かりつつある一方で、歴史の中で縄文から弥生に変わっていくとき、爆発的に農耕がはやる。

色々な理由があったとは思うけど、それがいいと思ったからやったと思うわけ。それは自分たちの生活を圧倒的に変えた。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

その後、単に自分のプロジェクトというだけでなく、
村や市のために写真を撮ってほしいという依頼が入るように。

 

2013年、秋田県の限界集落、上小阿仁村八木沢集落を舞台に制作。
住民は20人を満たない。その名の通り、限界を超えた集落だ。

 

田附さんは集落を、
無責任にいいところですねとはしなかった。

集落の現状をそのままに描こうと努めた。

 

 

写真の撮り方は変わってきた。鹿猟では3、4時間待つこともあると思うんだけど、すると山の中に同化していく。じっとこらえ、来るまで待つ。

場所によっては、車から撃てるところもある。昔はそれだった。あそこまで行って、いるからゼッタイに撮る。

でもいまは、もちろんここにいるんだろう、あるんだろうというものはあるんだけど、ピンポイントでじゃなくて、このなかで気配がやってくる、みたいな撮り方かもな。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

人間が持ち込んだ秋田杉が、人の手も入らなくなり生い茂り、
そこに現地の植物に絡まり、拮抗するようなものを見た。

 

あるいは消えつつある集落を、ただ終わるのだと捉えるのでなく、
朽ちていくと感じた田附さんは、集落で写した写真をトタン小屋に並べ、
雨や雪で写真そのものが朽ちる様子を眺めることにした。

 

写真はいつからか仰々しく丁寧に扱われるようになったけれど、
朽ちたっていいんのだと。

 

言葉ではさ、江戸時代はとか、縄文時代はとかって言うけど、自分たちが捉えられる時間はたかだか100年くらい。それすらいまいち捉え切れてないんじゃねえかって思ってて。

それを教えてくれるものってなんなのかと思っていたとき、たまたま新潟の友だちが土器の発掘をしていた。それを観に行った。現場にいったら分かると思うけど、最初はカラカラじゃなくて濡れてたりする。それが再会みたいなもんじゃん?

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

有機物である以上、それを逆らうのはおかしなことなのかも。
木をきのこが腐らせ、土に戻し、その土から芽が生えるように。

決して楽観的ではないけれど、死を死と捉えるのでなく、
もっと大きなサイクルから捉えてみればいいんじゃないか。

 

だからそんなに無理しなくていい。
そのまま、自然に在り続けてくれれば。

 

田附さんは自分の考えを押しつけないし、
あくまで部外者の立場を貫き通す。

これは『みえないところに私をしまう』と名付けられた。

 

ずっと通い続ければ、それだけ彼らと密になるわけ。あるときにはさ、なぜか俺がある家の家族会議に一緒にいたりして。そういうときに自分のなかで決めているのは、俺は発言しない。田附さんどう思う?って言われても「分からない」。なにを言われても「分からない」。

それは家族で決めるべきこと。俺は数年経ったら、去っていくしかない。撮っているあいだの密度よりは薄まる。だから、わからない。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

ここまで振り返ってみて、改めて。
田附さんがやっていることって、写真じゃないよね。

もちろん、写真のためにいろんなことを堪えて。
写真のために色んな人を乗せて。

 

すべては写真のためなんだけど。
でも同時に、写真じゃないもののためにやっている。

 

 

カケラに色をつけて撮るってことはさ、土器は土のモノと思っているじゃん? でも紋様をつけていた彼ら(縄文人)はもしかしたら紋様に色まで見てて、だからそういうカタチにしたのかもしれない。それによってメッセージが込められていたかもしれない。

それで、虹のいろ。かつてもいまも見える色。昔の人は、虹が現われたら市を立てたりとか。虹が現われることに神秘を感じていた。

土器のカケラに色を加えることによって、僕らが考えていること以外のことが現われるんじゃないか。それはもしかしたら、自分たちの年齢を重ねて、与えられた知識外のことを紐解けることなのかもしれない。

分からないことも重要。いまと過去も繋ぎ合わせることも重要。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

田附さんは、目に見えないものに惹かれて突き進んでいる。

 

デコトラでは、運ちゃんとデコトラの家族写真を集めた。

東北では、僕らが忘れつつある日本列島の残像を求めて。

その血では、目に見えない放射能に拮抗する血を確かめに。

kuragariでは、光と闇の狭間〈暗がり〉に潜む魔物と出会いに。

みえないでは、限界集落に生命の循環を見つめ、写真を朽ちさせた。

 

だからといって、写真にメッセージを込めているとかでもないわけ。一番は、自分が見たいものが撮れればいいわけ。自分が、こういうことだよなっていうポイントを作っていく。

俺が見たものを土台に、見た人も、自分のなかで解釈していけばいい。俺がこう言ってるからこうじゃなくても、こういうことなんじゃん?みたいなのでもいいと思うし。だから写真をやってられるというか。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

田附さんがやってきたこと。

デコトラからずっと、
目には見えないものを写真で描こうとしてきたこと。

写真の先で田附さんが掴もうとしてきたもの。

 

そう、食べろなんだよ。俺ね、何年やってんだって話だけど、意外にダメだな~って思うわけ。

一番は鹿猟についていってるとき、釜石では基本的に鹿猟なわけ。2009年ごろかな、クマが捕れたんだよ。クマ撃ちじゃないけど、クマがいたら撃つ。ちゃんと供養してから解体する。そしたら内蔵を外す。するとなかが空洞になってて、血がたまってるわけ。そしたら、田附さん!って。おちょこで血を掬ったものを、はい!って。

そこで俺はひるんだんだよね。もちろんそれは熊の栄養もあるんだけど、それ以上に山のトップの力をもらうということでもある。そのときに俺がたじろいだってことは、いかに自然から離れてしまったのかと思うわけ。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

それは一体なんなのか。

ふと、写真家の大橋仁さんが言っていたことを思い返す。

「いまは予測に過ぎないんだけど、自分がもし死ぬまでなにかを作っていけたとしたら、それは、なにか一言を言わんがためというか。たとえば、生涯であと10冊の写真集を出したとする。その最期に残る言葉って、たったひとつなんじゃないかと思うのね。で、その一言が残ったとするでしょ? その一言は自分のどの写真集にも繋がってるし、貫かれているもの。色んなことを表現したり、たとえ伝えられなくても、たったひとつのそれが残ればそれでいいのかなって」

 

写真家は筆の代わりに、カメラを握る。

言葉には表わせないもの。言葉では伝わらないもの。

それは、目には見えないもの。私たちにつかみ取れないなにか。

 

どうせだから、人間らしく屁理屈で考えてみよう。

ぼくたちが視る行為は3次元だ。写真は2次元。
目に見えたものをそのまま撮っただけなら、写真は2次元になるだけ。

ただの劣化だ。

 

でも3次元から写真家は、空間が歪んだ瞬間を察知し、
そこに光をあて、シャッターで景色を殺める。

そこに閉じ込められるのは、ひょっとしたら4次元じゃないだろうか。

4次元は時を超え、過去・現在・未来を自由に行き来できる。

 

音楽は、言葉に音を乗せるから、言葉を越える。
写真は、三次元を光で殺めて、時空を越える。

 

田附さんはいま、縄文土器に虹色をあてて撮っている。

写真は光を得て、いまを殺める。
刻まれた時空の切り口から、1万年前の日本列島を眺める。

そんな行為なのかもしれない。

 

だからきっと。

青森で撮った写真は、青森で。
秋田で撮った写真は、秋田で。

どうしても見たい人はそこまで行ってね。

っていう展示スタイルなんだろう。

 

だって、そこまで行かないと。

田附さんが見たものに囲まれながら、見ないと。

あっぱれなほど閉じきった僕らでは、同じ旅に出られないもの。

 

 

体の動きでは反応できるんだけど、食べないと分からない。食べることで理解する。どんこ、かじかの形は知っていたとしても、体に取り込むことでそこの世界が分かる。

血が飛び散るってことが自分にとってどういうものなのか。自分のなかで解釈していくのは、目に見える実態だけではなくて、体に取り入れる。それでも分かることを写真に反映させていく。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

 

 

目には見えないものを撮るということ。

 

 

自分がぞわぞわした世界に飛び込む、同化をする。

 

食べてみる。
身体に取り込んでみる。
頭では分からないことを受け入れる。

 

それまで誰も結びつけなかった、
あるいは目を向けてこなかったものに気づく。

 

時を想う。
日本列島に生きながらえてきた自分の始まりは、一体どこにあるのか。

 

そして、光を当てる。
光で現実を殺め、時空を切り開く。

 

その穴の先でハッと一瞬見えた、かつての景色に手を差しのばす。

ぐっと手綱を引くようにシャッターを切り、写真に封じ込める。

 

一度おさまったら、写真はもう逃さない。
その景色はもう、逃げられない。

 

目には見えないものを撮る、ということ。

 

おもしろいと思ったのなら、あとは自分でみちびけ。

田附勝「魚人 FISH-MAN」ナイト@荻窪・6次元トークにて

この記事の著者

トモ・コスガ

トモ・コスガ

1983年生まれ、編集者。フォトグラファー・新田桂一に師事後、VICE MAGAZINE JAPAN編集部、EYESCREAM編集部、VICE MEDIA JAPANを経て独立。現在は故・深瀬昌久の作品管理と普及を目的とする「深瀬昌久アーカイブス」ディレクターを務めながら、主に写真関連の記事を書いたり、家事をしたり、ジムでマッチョを夢見たり、クワガタを飼育・採集、と多岐にわたって活動中。

http://www.tomokosuga.com/

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