どこよりも最速レビュー!? 杉本博司『ロスト・ヒューマン』展に隠された裏テーマとは。

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こんにちは、トモです! 今日はどこよりも最速? 杉本博司『ロスト・ヒューマン』展のレビューをお伝えします!

東京都写真美術館、改めトップミュージアム。総合開館20周年にも当たる今年、こけら落としとして「杉本博司 ロスト・ヒューマン」展が9月3日から開催されます。このリニューアル・オープニング・イベントが昨晩行なわれたので、行ってきましたよ。

展覧会のタイトルを『ロスト・ヒューマン』とした本展。英題は『Lost Human Genetic Archive』、つまり「人類の失われた遺伝子の記録」という感じでしょうか。会場では、杉本博司が想像しうる未来の姿を次々と見せます。人類を滅亡に追いやるだけの可能性がある天変地異などを想定したうえで、それらの事態に対して様々な分野の専門家たちがきっと遺すであろう遺書をモチーフに、最悪のシナリオを33の章に分けて展開。杉本作品としては馴染みのある『劇場』、『海景』、『ジオラマ』、『蝋人形』が飾られるなか、その周りを古美術や化石、骨董品などが取り囲みます。

で、本展最大の見所であり違和感は、会場を埋め尽くすものが写真よりも「モノ」ばかりだということ。杉本さんのコレクションやらが立ち並ぶわけです。一見すると写真展というよりも、ちょっとした博物館のような印象すら受ける本展。しかし会場はあくまで〝写真〟美術館ですよね。じゃ、杉本さんは本展を通して、なにを伝えたかったんでしょうか?

まず初めに本展『ロスト・ヒューマン』には、2つの展示構造が与えられています。ひとつが3階の『今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない』というアルベール・カミュの小説『異邦人』を思わせるタイトルのメイン展示、そしてもうひとつが2階の『廃墟劇場』です。

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展示会場は撮影不可だったので、代わりに美術館外観を載せときます

まず着目したいのは『廃墟劇場』シリーズです。

会場の2階では杉本さんの最新作となる『廃墟劇場』が展示されています。これは使われなくなった劇場において、代表作『劇場』シリーズと同様の撮影を行なったもの。つまり『劇場』の続編と言える新作です。

元の当シリーズが1976年に制作されたことを考えると、なぜいま再び『劇場』なのか?という疑問が湧きます。そもそも「時間」に関心を持ってきた作家である杉本さんは、暗闇のなかで2時間かけて上映される映画を一枚の写真に収めることができないか?という問いから、本作を作り上げました。このことは覚えておいてください。

杉本さんは本展のカタログにて、「脳内劇場」と題して、こんなことを記しています。

写真は死んだリアリティーを残像として定着する。しかしその残像を次々と見せられると、死んだリアリティーが生き返ったように見える。それが映画なのだ。

この考え方の根底には、ロラン・バルトによる「それはかつてあった」という写真の本質的な考え方が大きく影響しているように見受けられます。

なにが言いたいかというと、写真は原則的に過去の遺物であると。

なぜなら、シャッターが切られた瞬間から、そこに写ったものは過去の像だからです。ここで本展の会場に並べられた「物」を振り返ると、それら自体が「それはかつてあった」ことを証明するようにも感じられませんか? そして「過去」は「物語る」ものです。つまり「歴史の遺物」に物語らせることが、杉本さんにとっては写真行為に等しいものだった、とは考えられないでしょうか。

「物」は原則的に無言ですが、人類の歴史に強く関わった物は例外ですよね。とりわけ「物には魂が宿る」という観念を共有している我々日本人であれば、なおさらこのことは理解しやすいはず。写真の本質の代弁を歴史の遺物にさせることで、写真という一個人による小さな行為に壮大なスケールを与えようという試みにも感じられました。

先のロラン・バルトの言葉が表わすように、写真という行為そのものは常に「過去」を孕むものです。より大きな枠で捉えたとき、まだ「現在」は孕むとも言えるかもしれませんが、さすがに「未来」は含まれませんよね? しかし杉本さんはこの命題にも本展でチャレンジしています。過去を振り返ることから未来を想像する。ここにおいて「最悪のシナリオ」がキーになるわけです。

もし第二次世界大戦が終焉を迎えることなく戦争が続いていたら? もし巨大な隕石が地球に降り注いだとしたら? もしミツバチが絶滅してしまったら? もし人類があらゆる化石燃料を使い果たし、大気成分の急激な変化によって植物が光合成できなくなったら? もし太陽系が電磁嵐帯に突入してしまったら? 今日という日を何事もなく過ごせている我々ですが、ともするとちょっとしたきっかけによって簡単に絶滅してしまう。私たちの感性にダイレクトすぎるほどグサッと刺さってくる悪夢の数々=「パラレル世界における緊迫した未来」を物語ってくれるものこそが、歴史の遺物だったというわけでしょう。

杉本さんは「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」というタイトルに皮肉を込めつつも、「死んだ世界」=「死んだのは昨日かもしれない」=「死んだリアリティ」=「写真」という方程式も見事に成立させています。そして、33もの歴史の遺物を通して人類の未来を探ることから「死んだリアリティーを生き返らせる」。つまりは『劇場』シリーズの観念的な再考。これが本展が真に伝えたいことのように感じられました。

これってかなりすごいことで、かつて写真行為で成し遂げたひとつの偉業を、それから40年が経った今、カメラなしで再び成立させているんですからね。本展に一種の胡散臭さすら感じられるのも、杉本さんが「念写」に近い〝離れワザ〟を成し遂げているからかもしれないですね。しかも展覧会にカタログはつきもので、杉本さんがいくら写真で表さなかったとしても、カタログの中では写真にならざるをえない。このメタ構造も皮肉がきいてて面白いなと思いました。というかそれこそ、中平卓馬が提唱しつつも未完成で終わった『植物図鑑』論に対するひとつの答えかもしれないですね。恐るべし、杉本博司。

それにしても本展が明るみにしたのは、人という生き物が、思考として写真に近いことを常に繰り返しているということでもあると思います。それって、過去も現在も、ひょっとすると未来も、人の想像力次第では写真に写るかもしれないってことですよね。そう考えると、写真って面白いと思いませんか?

写真にそれほど興味がない人々にはホラーテイストのSF気分を満喫してもらいながらも、きちんとウラで写真行為を成し遂げる辺り、やはりスーパーイリュージョニスト……否、ハイパーイリュージョニスト!! どんな方でも楽しめる内容になっているので、ぜひ観に行ってくださいね。

そしてぜひこの記事に、あなたの感想をコメントとして残っていってください〜!

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この記事の著者

トモ・コスガ

トモ・コスガ

1983年生まれ、編集者。フォトグラファー・新田桂一に師事後、VICE MAGAZINE JAPAN編集部、EYESCREAM編集部、VICE MEDIA JAPANを経て独立。現在は故・深瀬昌久の作品管理と普及を目的とする「深瀬昌久アーカイブス」ディレクターを務めながら、主に写真関連の記事を書いたり、家事をしたり、ジムでマッチョを夢見たり、クワガタを飼育・採集、と多岐にわたって活動中。

http://www.tomokosuga.com/

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