矢島陽介さんが写真集『Ourselves / 1981』を出したから話を聞きに行ったら、〝わからない〟がわかんなくなった。

tskinterview

佐内正史さんの写真集に『わからない』ってのがあったけど。今日は矢島陽介さんの写真集を紹介したいと思って、インタビューに行って来ました。

矢島くんの写真は、ぱっと見わからない。印象的な被写体がある訳じゃなく、変わったものや特徴的な風景や決定的な瞬間を撮ってる訳でもない。でも、どこか気にかかる。本人はそれをズレとか違和感と言ってた気がするんだけど、それってどういうことなんだろう?って何となく思ってて。人気が無い。って感じがなんとなくしてて。

いや、違うし。『にんき』じゃねえし。『ひとけ』ね。ひとけがない。それと同意かもしれないけど、温度もあまり感じない。よく言えばクールと言えるのかもしれないけど、不穏さみたいなのがどこかにある。

矢島くんの写真集はとても静かで美しいけど、耳鳴りのする朝のような不安感というか、見慣れているはずの風景の中の違和感みたいなものが同居している。矢島くんは多分それらを「Ourselves(私たち自身)」としたんじゃないかな。なんとなくそう思ってた。でも、自分でそう書いてもよくわかんない。

で、昨年、自費出版という形で自身の作品をまとめた写真集を出した矢島くんに改めて話を聞きに行って来ました。

 

矢島陽介さん

矢島陽介さん

 

TSK:写真って社会人から始めたの?(唐突に。)

矢島陽介:ですね。

高校の時とか、大学の時とかは?(勝手に早く始めてたイメージ持ってた。)

大学時代の友達が当時、ヴィジュアルアーツに通ってて。僕は普通の四年制の大学に行ってたんですけど。その頃にHIROMIXとか流行り始めてアラーキーが再評価されてきてって時で、そういうのを本屋行って見せられて「へー。」って感じで。

ちょうどその頃に実家にあった35mmのカメラを持ってきて、一緒にちょっと撮ってたって感じでしたけど。趣味で撮ってた程度ですね。

デジタルじゃなくて?

その頃、デジタルはまだありませんでした。まともに持ち歩いて、撮って写真になりだしたのは2002年ごろ。500万画素のデジタル一眼レフが出始めたころの、さらに少し前くらいですね。

友達は2年ほどで写真辞めて、実家に帰っちゃって。僕も普通に就職した。そのころ、写真家になるっていう発想はなかったんだけど、仕事つまんなくて転職も考え始めて。数年が経ったころ、転職するためにも最低限のスタジオ技術を身につけようと。

え?カメラマンになろうと思ったの??(急な展開についていけなくなって焦った。)

いや、職業としての写真ってどうなんだろう?って思って。週一くらいで夜間の写真の学校に通い始めたんですよ。で、物撮りしたり。モデルさんとか撮ったりしたんですよ。

面白かったの?(急に素直な質問)

いや。ちょーーーーつまんねえ!って思って。こんなもん仕事にするもんじゃねえな。って。これは個人的な感想ですけどね(笑)。

でもその時に、作品撮りをしたいなっていうか、写真をちゃんとしたものにしていきたいっていう漠然と思うようになって。それで6×7を買ったんですよ。それが写真を始めたキッカケですかね。

そーいえば、矢島君が仲良い横田大輔くんや細倉真弓さんとはいつ知り合ったの? 大学とか??(勝手に俺が仲良いって思ってるだけかもだけど)

最初は細倉さんに会ったのかな? Esquireの賞をもらったとき、後藤さん(※編註:後藤繁雄さん。G/P Gallery主宰、当時のEsquire写真賞の審査員の1人)に会ったとき、「君ぐらいの年の子たちがグループ展やってるから、観においでよ」と言ってもらった。

プンクトゥムっていうギャラリーで、2007年くらいかな? そこに細倉さんや小山泰介さん、鵜飼悠さんがいて。そのギャラリーでトークショーがあったんですよ。自分はその時、普通に観客として行った。

その時に初めて、同年代でこういうことやってる人がいるんだ!って嬉しくて。今まで会ったことなかったから。関わったこともなかったんですよ。トークが終わったあとも、飲み会についていって、すっごいみんなに話しかけて。ま、相当ウザかったと思いますよ。

へー。(今度細倉さんに矢島くんがどれだけウザかったのか聞いてみよう)。そん時は、その週一で通ってた学校のちょっとした知識とほぼ独学って時期だったの?

そう。しかも写真やってる友達もゼロ。

で、そん時が数珠つけてた時?(矢島くんの私服のアクセで、でっかい数珠つけてたっていう細倉さんから衝撃の話があったので。)

それはもっと後です笑。だいぶダサイ時期がありました笑。かなりダサかった笑。無駄にハイブランドの服とか着てて笑。

 

====笑い疲れてしきり直し====

 

今回本を出したけど、ついにって感じ?元々出す気だったの?(急に最近の話に跳んじゃったなあ)

ま、自分で周到に考えてたってのはあるんですけど、直接のキッカケは展示ですね。ちょっと複雑なんですけど。

展示の前に、自分で本を作ってたんですよ。こういう感じの本がいいかなあとか思いながら、ボンドとか使って手作りで。

あー、俺も見せてもらってたヤツだ?

そうそう。それで、本にまとめてみて、ダミーブックアワードとかにも送って入賞したりして。

もともと写真集にまとめようって気持ちはあったんだね?その本の前に1回、『WILD NATURE(自然な自然)』って写真集っていうかZINEを出してるよね?

あー、あれは『SPACE CADET』(※編註:12、13年に東京・TURNER GALLERYで開催されたグループ展)の展示でなにか冊子とかあった方がいいかなと思って。パパッと作ったものだったんですよ。

じゃ、もともと写真集を作ることには興味あったんだ?

そうですね。ま、本を作りたいっていうよりは、本って観てもらいやすいじゃないですか。当時、自分の写真っていうか作品をまとめて観てもらう方法を考えてまして。

ギャラリーだったり、知ってる人に観てもらったりするのにどういう形だったら良いのかなって考えた時に、自分でダミーブック作って見せた方が、ファイルにプリント入れるよりやりたい事のイメージが伝えやすいかなと思った。

結果的には今回の本を作ることになったんですけど、自分としては、ダミーブックを作る事によって展示とか出版とか先に繋がれば良いなって思ってて。

今回って自費出版じゃないですか?出版社から出したいとかってなかったの?

うーん、なかったっていうか。そもそもあんまり売り込んでなかったっていうか笑。

展示(編註:2015年8月 『Ourselves1981」G/P Gallery)に向けて小冊子みたいなものを作ろうって思ってたんですよ。それが去年の始めくらいなんですけど。で、自分は次になにか冊子とか作るなら、宇平さん(宇平剛史/デザイナー)と作りたいって思ってたんです。

で、宇平さんに相談した時に「やるなら本を作りましょう」って話になって言われたんですよ。で、自分でも若干悩んでて。roshin booksの斉藤さんとか小林さんとかにも相談したと思うんですけど。

。。。。。(あ、されたわ。そういえば)

で、だんだん自分の中で本を作ろうって決めて。それが3月くらいだったんですけど。「ディレクター間に入れますか?」とか、「出版社に話しますか?」とかそういう話は後から出てきたんですよ。

スケジュールはタイトだったんだけど、本を作るって決めた時に。それこそ、その辺の本屋さんをずーっと見て歩いてたんですよ。コソコソコソコソ。すっげー見て歩いた結果。国内の出版社から出てる本って、なんかカッコ良くないの多いなって思って笑。あ、個人の感想です。

海外の自費出版で自由にやってる人の方が面白いなって。あんまり詳しくないんですけど、国内出版社で流通させるには、取次通すのに、装丁とか、表紙の素材とか結構制約があるって聞いて。自分ではやりたい形があったので、それを実現させるには自費出版の方が良いなって思いましたね。

その時点で、ぜひ本を出しましょうって言ってくれるところがあった訳でもなかったので。ま、自分が全然売り込みとか営業に行ってた訳じゃないので当然ですけど。誰かと出版ってことになって、わかんないけど、じゃ100冊買取でとか、折半でとか、あんまりメリット無いなって思って。あと、数もそんな多くないんで、なるべく顔の見える売り方したいな、とか。

それで自費出版って形か。編集とかも全部自分?

基本は全部自分ですね。深井さん(※編註:深井佐和子 G/P Galleryディレクター/編集者)とメールやスカイプでやりとりして、アドバイス貰ったりはしました。

具体的にはどういうアドバイス?(今回のインタビューで一番質問らしい質問だな)

自分的に何パターンか作って、相談するって感じですね。「こっちはこうですね。」とか。「こっちはこうこうですね。」とか。「海外の人が見たらこの展開は唐突過ぎるかな。」とか。そういう感じですね。

苦労したことって?

売るのが一番大変ですね。

印刷所ってどこだっけ?

印刷所はサンエムカラーで、製本は別のところですね。

ま、その辺の事はデザイナーの宇平さんにはすごくお世話になりましたね。

宇平さんは前から知り合いなの?

確か最初は吉田和生君のMP1っていうグループの冊子をデザインしてたときに知ったのかな。それを見て、ホームページとか見てすごい格好良い。うーんっていうか、すごく余計なものを削ぎ落としてるデザイナーさんだなと思って。

今までの自分の今回の写真のイメージって、自分の中ではけっこう湿っぽい要素が多い写真があったんですけど、宇平さんのデザインで編集したら、色で言うと青っていうか、ドライなイメージで完成できるかなって。自分の中で断ち落としたいものをうまく排除出来そうな気がして。

なるほど。今回って印刷立ち会ったりしたんでしょ?

あ、行きました。すっごい面白かったです。

プリントも勿論作ってると思うんだけど、写真集にするってどう違うの?

単純なところで言うと。色のところってあるじゃないですか。RBK?違う。えっと。

あー、色のヤツ?(俺も思い出せない)

そう。色のです。CMYKと、そのあれが違うんですよ。あ、RBG(編注:正しくはRGBでした)

そもそも自分がPhotoshopとかで見てるRGBって、印刷所のCMYKの頭の人に伝わらないんですよ。「CMYKで言うとどっちに倒すの?」っていう。で、その「どのくらい倒す」って感覚も、人によって違って。そういうのがすごい難しかったです。

線の数を増やしてもらったり、インクの量を増やしてもらったりして。4枚のページが一度に出てくるんですけど。印刷してもらって、指示して、ちょっと数字を修正してもらってもう1回印刷してもらって。みたいなの繰り返しましたね。

色見本で持って行った紙と、実際の印刷で使う紙が微妙に違ってて、紙の色が違うと明るい部分の差がすごい出るんですよ。でも、そういうのがムチャクチャ勉強になりましたね。

ちょっと話が戻るけど、好きな写真集ってある?

うーん、好きな写真集。。。うーん。

影響を受けた写真集とかは?

うーん、そうですね、強いて言うなら写真を始めた頃に佐内正史さんの「生きている」とか「わからない」とかあの辺りの写真集ですかね。あの自分のこの本もそうなんですけど、佐内さんが喋ってる事がよくわかるって言うとおこがましいですけど、好きなんですよ。

そーなの?佐内さんってどんなこと喋ってるの?(よく知らない俺)

なんか、わからない事喋ってるんですよ笑。すごく雑な解釈ですけど。「本人にしかわからない」みたいな、そういうこと。前に画家の山口晃さんが何かのインタビューで「明快でありながら、わけが分からない、という絵に惹かれる」みたいなこと言ってて。自分もそうなんですけど、「何が写ってるのかはっきり分かるんだけどそれが一体何なのかわからない」みたいな状態になるっていうか。

そういうのに自分も魅力を感じる。写真を始めた最初のところに戻ると、そういう感覚があるんですよ。佐内さんって、そこをものすごく追求してるんじゃないかなって思うんです。結論的には、自分はわかることをわからないようにしようとしてるのかなって思います。

わかることをわからないこと?わからないことがわかる?ん?どゆこと?(俺バカ過ぎ)

何なの?って言われるところに留めたいんですよね。自分的にも、簡単に意味とか理由を放棄して収束させてたまるかって感じがあって。見る人が、仮に何か決めつけたものの見方をしてもゴールにたどり着けない、モヤモヤした感じになるというか。

この前展示に来てくれた方が、展示について的確な事言ってくれてて。それが自分でもすごいしっくり来て。要するに、鑑賞者は写真を見た時に答えを前提として見に来るっていうか、答えを探しに来るっていうか答えがあると思って来る事が多いと思うんですけど、僕はそれを用意してない。そもそも答えって何?っていうところを思わす写真だって書いてくれてて。そういう感じですね。

まぁ、こう話すとまるで着地がない感じもしますが、自分には東京でごく普通に働く一人の生活者としての目があって。一方でその環境で感じる虚構性というか、不安定さもあって。そのごく日常レベルのまなざしの集積が写真だと思ってます。

で、そのまなざしで写真を撮ろうとするとものすごく余計なものが写りこんでくる感じがあるから、あらゆるものを排除し尽くした結果こういう写真になった、という感じです。そこに浮かび上がってくるのが、例えば違和感のある人物の後姿とか。そういう感じですね。

 

その後、新作の話や、今後の展開のことや、英会話の話や色々と話をしてて、矢島くんは「いつも思うけど、自分の話面白くない」って呟いた。

ただ、矢島くんはずっと先を見てて、「10年後また別の意味が出てくるのかも」とか、「もしかしたら後で振り返った時に」とか、10年、20年の長い時間の単位で考えてて面白かった。今回写真集にまとめたけど、どちらかと言うと、一つのシリーズをまとめようと思って写真集を作ったっていうよりは、自分の経歴の中のひとつの楔としてマイルストーンのような意味合いで出版したような感じがした。

「?」マークを突きつけるわけでもなく、面と向かって問いかけてくるわけでなく、砂に水が沁みこむように静かに心に疑問符が浸透してくるような作品群。そして答えはどこにもない。自分で探せとも言わない。ただ何となくだけど、次の作品を見たくなっている。

statement2

矢島陽介は1981年山梨県に生まれ、学生時代から独学で本格的に写真制作を始めた。

2009年の「1_WALL」入選以来積極的にグループ展や個展に参加し、国内外の著名な写真フェスティバル等に入選を果たしてきた。

本写真集『Ourselves/1981』は、矢島の活動の大半にあたる2010年から2015年までの作品をまとめた一冊であり、そのタイトルが示すように、1981年に関東に生まれた矢島自身が経験してきたひとつの時代とその実感を描き出している。

被写体の外側にあるものも含めて時を閉じ込めるという写真の性質を利用し、矢島は写真に映り込む気配を捉える、ということに対して慎重かつ積極的にアプローチしてきた。80年代関東に生まれた者は皆、大都市が21世紀へと切り替わるいくつもの瞬間を通過し、その中で世界の手触りがはっきりと変化したのを体感した。

成熟しきった社会で生活も人々の関係性や心理も「郊外化」し、大きな事件のない「今」が綿々とつながっていくという未来に悲観も楽観もなく、妙に体温に欠けた実感しか持てない。

矢島はその体温の不在、不穏な予感を写真というメディアを通して注意深く、客観的に観察し、視覚化してきた。郊外と都心を往復する日常の中で、世間と自分との間に感じるわずかなズレ。そこから目を逸らさずに、丹念に撮影地と被写体を選んだ上で、自分の「感じる」世界の見え方が正しく描き出されるよう、注意深くイメージを作り上げる。

矢島の写真に繰り返し登場するプレハブの壁面、引かれた図面が建材で起こされただけのようなペラリとした街の風景、顔を持たない後ろ姿。体温を持たないそれらのイメージはすべて等しく、矢島の抱える生への疑問と渇望を伝えている。

≪深井佐和子(G/P Galleryディレクター)≫

 

タイトル 「Ourselves / 1981」
著  者 | 矢島 陽介
デザイン | 宇平剛史、Clara Huber
印  刷 | サンエムカラー
製  本 | 篠原紙工
刊行年 | 2015 年
限定500部ナンバリング付き(うち特別版30部)
サイズ | A4判変形(W212mm×H290mm×D11mm)
装  丁 |ハードカバー、52ページ
価  格 | ¥3,400(税込)

 
 

information

[ G/P gallry ] 矢島陽介 Yosuke Yajima “Ourselves / 1981″

矢島陽介 Yosuke Yajima
Ourselves / 1981
2015. 8.22[Sat.]-9.20[Sun.]
http://gptokyo.jp/archives/2455

【On Reading】矢島陽介 個展 『Ourselves / 1981』
2015.09.02.wed – 09.14.mon
http://onreading.jp/gallery/yajima_yosuke/

※どちらも会期終了しています。
 
logo3

flotyajima7

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。

ページ上部へ戻る